2024年8月16日放送、日本テレビ金曜ロードSHOW!「聲の形」
京都アニメーション制作の切なく美しい青春物語「聲の形」が今夜放送。
聲(声)には、本来「形」はない。
この映画のタイトル「聲の形」の聲の文字は、声と耳と右上の部分(手で楽器を叩いてる)で成り立つ。つまり、聲という字の上側は音を発する側で下側は音を聞く側で成り立っている。 ただの音ではなく、話し手と聞き手がいて成り立つのが「聲の形」。
作者はその「形」を話し手と聞き手の「形」、つまりは人間関係とかそういうものを表現したくてタイトルにした。
「人」の醜い部分を丁寧に描き、その上で普通なら「社会的に分け隔てされる二人」が想いを深めていく作品なのだが、登場する人物は「いじめ」を「いじめ」と思っていなく、胸くそ悪い人間たちの陰険さを自然に描ける作者に5chではどんな人物なのか?と注目されている。
今回は、「聲の形」の主人公・石田と西宮のその後、ネットで出回っている作者死亡の噂についてまとめてみた。
■目次
・聲の形とは・聲の形の作者が死亡理由とは
・聲の形の石田と西宮その後
聲の形とは
『聲の形』(こえのかたち)は、作者・大今良時(おおいま よしとき)によって描かれたいじめや障害、後悔、赦しなど、重いテーマを取り扱った作品。
・あらすじ
ガキ大将の小学6年生・石田将也のクラスに聴覚障害の少女・西宮硝子が転校してくる。
お互いに関心を持つ2人だったが、上手く想いを伝えられず、分かり合えないまま、ある日硝子は転校してしまう…。
5年後、高校生へと成長した将也と硝子。
あの日以来、伝えたい想いを内に抱えていた将也は硝子のもとを訪れる。再会した2人は、今まで距離を置いていた同級生たちに会いに行き、止まっていた時間が少しずつ動きだしていく…。
公式サイト
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聲の形の作者が死亡理由とは
ネットを検索すると「聲の形 作者 死亡」という不吉な検索サジェストが出現する。

結論から言うと、聲の形の作者である大今良時さんは健在で、死亡したというニュースやネットの記事すら見つからなかった。
なぜ、聲の形の作者が死亡という情報が出回ったのか?
調べてみると、講談社の朴鐘顕が関係しているようだ。

女性作者ではある大今良時さんは当初、「聲の形」のオリジナル版をマガジンの新人賞応募に投稿して見事受賞し、副賞でマガスペに掲載される予定だった。
しかし、内容が「いじめ」とかなりセンシティブな内容だったことから発表が見送りとなってしまった。そのままお蔵入りになっていたところを当時の別冊マガジンの班長であった朴鐘顕の強いプッシュで同誌に掲載。掲載当時に大人気作品「進撃の巨人」を抑えて堂々の1位を獲得した。
その後、リメイクを経て連載へと繋がったので、朴鐘顕の働きかけがなければ陽の目を見なかった作品が聲の形。その「聲の形」を世に送り出した朴鐘顕は2016年に自宅で妻を〇害したとして逮捕、一審で懲役11年の判決が出ている。
奥さんは3年前からDVに悩んで区役所に相談し、資格試験を受ける為に勉強していた。
公判についてはほとんど報道されていないのだが、朴鐘顕は公判で無罪を主張し、4人の子供たちは進学や受験といった過程を経ながらも父親の無実を信じ、家族全員が父の帰還を待ち続けているという。
朴鐘顕は、聲の形の作者である大今良時さんの作品を世に広めた貢献者だっただけに、朴鐘顕の奥さんが大今良時さんだったのではないか?という情報がネットで錯綜し、「聲の形の作者が死亡」という検索サジェストに残ってしまったようだ。
ちなみに、「妻は自〇だった」と一貫して無罪を訴えていた朴鐘顕は、一審に続き二審でも殺人罪で懲役11年の有罪判決を受け、上告中だが、講談社は自主退社扱いとなっている。
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聲の形の石田と西宮その後
映画「聲の形」は、原作7巻を129分にまとめているので、かなり内容を削っている箇所がある。
ファンブックの作者インタビューによると、病院を抜け出した石田が西宮と橋の上の会うシーンで「生きるのを手伝ってほしい」というセリフには「石田の側に恋愛感情は絡んでいません」と明言している。
つまり、石田は西宮に対して過去のいじめの罪悪感から西宮を飛び降りから救った。
なので、映画での石田は西宮に対して恋愛感情はないようだ。
映画では最後まで石田と西宮が恋人関係のような描写(手を繋いだり、キスなど)が無かったし、石田側は「恋愛感情はない」というぐらい薄かったようだ。
では、石田と西宮はその後どうなってしまったのか?というと、原作である漫画で描かれていた高校卒業後では、西宮は東京で理容師になるための修行中。一方の石田も実家を継ぐために地元で理容師を目指している。石田と西宮は卒業後、成人式で久しぶりに再会する。
原作では、石田が西宮の手を引いて、小学校の同窓会の会場の扉を開ける直前で終わっているが、結婚どころか付き合ってるような描写もなく終わっている。最後の成人式で手を繋いでいる時、二人に全く恋愛感情がないとは言い切れないが、そこまで石田は西宮に対しての恋愛感情は薄い。
原作の西宮は家庭の問題は多く抱えているものの、転校した後には普通に友達を作っているような描写がある。なので、おそらく友人は石田だけじゃないし、石田だけに頼る必要性はない。
映画の聲の形は石田が主人公なために何故かあの頃の人間同士の関わり方をもう一度見直そうみたいな雰囲気になって終わっているが、石田は酷い事をして傷つけてしまった西宮に許されたかったのではなくて、「自分を酷い人間だと思ってる周囲の人間に許して貰いたかった」というのが「自分でも気づいていない」というのが本音。
人によって色々な解釈があるだろうが、石田と西宮の二人が恋愛に発展するにはしばらく時間がかかるのかもしれない。
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