7月27日、甲子園出場をかけた千葉大会の決勝で、市立船橋対木更津総合の試合で起きた誤審が5chで炎上している。



高校野球はNPBと違い、審判への抗議は認められない。
なので、甲子園の決勝でも得点に絡む誤審を審判が下したとしても判定は覆らない。選手は長年努力して家族はいろいろと犠牲にしてやっとでた晴れ舞台、それを一瞬の誤りで台無しにしているようなもの。





今回は、市立船橋対木更津総合の誤審について、5ch情報をまとめてみた。




2:

◆市立船橋対木更津総合誤審とは




記事内容


甲子園出場をかけた千葉大会の決勝。
タイブレークに突入した10回表、市立船橋が抗議する場面があった。10回表走者二、三塁。1対1と緊迫した展開の中、木更津総合の捕手が三塁走者をアウトにしようとした送球が走者に当たって逸れ、走者は本塁へ。



市立船橋の勝ち越しに思えたが主審は走者アウトを宣言。
それに対して市立船橋側が二度にわたって伝令を使った抗議を行った。その後、責任審判は三塁走者が守備妨害にあたるとして「三塁走者をアウト、二塁走者を戻して2アウトランナー一、二塁で再開します」と場内アナウンスで説明したが、市立船橋は判定に対して再び抗議。結果として判定は覆ることなく、二死二塁で試合は再開された。



高校野球ドットコム







◆市立船橋対木更津総合誤審で炎上



SNSでは市立船橋対木更津総合の動画が拡散され、「市船かわいそう」と誤審で炎上している。




高校野球は、冒頭でも説明した通り、審判への抗議をしても判定は絶対に覆らない。



高校野球は人間形成をモットーとしている。

それに高校野球は1日に何試合するので、もし毎回のように抗議があると試合進行が送れる。高校野球は教育に一環としているのだから、審判は絶対だというルールが存在する。


だから高校生の選手、監督は抗議してはいけない。
審判が下したジャッジは最終で変更不可ではあるものの、審判団が協議したのち主審が説明して判定を覆し、謝罪するケースはある。



ちなみに今は亡き大沢親分は、高校時代の夏の甲子園の県予選で、判定に腹を立て球審を殴る暴行を加えたが、その審判から「ウチのチームには君のような闘志溢れる人間が必要だ」と立教大にスカウトされたという逸話がある。



誤審を批判する人は、審判に対して人間の眼が有する能力以上の判断力を求めていること、そこまで言われたら審判もやり切れない。文句言いたい人間は何をどうやっても言って来るので、現在までビデオ判定は導入されていない。



◆市立船橋対木更津総合誤審で審判の処分



高校野球でも審判が誤審をした場合、何らかの処分が下る例は存在する。



昭和57年に行われた高校野球1回戦で山梨の東海大甲府と鳥取の境が対戦した。
3回裏の境の攻撃で、1アウト1・3塁からスクイズを狙った打球が小フライになって、三塁手がノーバウンドで捕球。3塁ランナーは戻れずアウトかと思われたが、三塁手は1塁に送球し1塁ランナーをタッチしてアウト。このとき3塁ランナーは1塁ランナーがアウトになるよりも早くホームを踏んでいたため、境が1点先制したはずだった。


しかし得点は認められず、誤審により境は先制点を逃した。


9回裏に再び誤審が起こり、打球を処理しようとた東海大甲府の遊撃手と交錯し、2塁ランナーが守備妨害でアウトになった。しかし、審判はアウトになったはずの2塁ランナーを3塁に進め、1塁にいるバッターランナーをベンチに戻した。直後にヒットが出てこの3塁ランナーが3点目のホームを踏んだ。



実はこの審判の誤審は、これだけでは終わらなかった。


次に行なわれた北北海道の帯広農と島根の益田の対戦では前代未聞の誤審があった。
4-2で迎えた9回表の益田の攻撃、先頭バッターがフォアボールで出て、続くバッターがヒットでノーアウト1・2塁、送りバントで1アウト2・3塁とし、タイムリーで1点を追加した。このとき2塁ランナーがホームタッチアウトとなり2アウト1塁、次のバッターがセカンドフライで3アウトチェンジのはずが、次の池永が打席に入ってしまった。審判や選手は間違いに気付かず、2球目がサードゴロで4アウトとなってこの回が終わった。直後に記録員の指摘で間違いに気付き、池永の記録は抹消された。


参照wiki


1日に3度もの誤審があった事態を重く見た高野連は、この試合の審判団を謹慎処分とされた。




なので、一つの誤審程度では、審判団はなんらおとがめなし。

もし処分をするなら、あわせてルールの大幅な改正も必要になる。仮にビデオ判定によってジャッジが変わった場合に、それぞれのケースに応じた再開時の取り決めをする必要があるから、とんでもなく難解なものになる。


簡単に「ビデオ判定導入」はできないので、ある程度の誤審は仕方がないのかもしれない。





スポンサーサイト