
7月8日放送、日本テレビ系・金曜ロードショー「竜とそばかすの姫」
細田守監督の最新作「竜とそばかすの姫」を本編ノーカットで地上波初放送。
「竜とそばかすの姫」は、カンヌ国際映画祭でワールドプレミア上映され、上映後には観客総立ちのスタンディングオベーションと大喝采がなんと14分間も続いた海外で評価が高い。しかし、日本のネットでは細かな矛盾点やシナリオの甘さが批判されている。それでも、それを補って余りある程の素晴らしい映像体験と素敵な感動を届けてくれる作品。
今回は、竜とそばかすの姫のネタバレとなる後日談、ペギー・スー 正体、5ch情報をまとめてみた。
細田守監督の最新作「竜とそばかすの姫」を本編ノーカットで地上波初放送。
「竜とそばかすの姫」は、カンヌ国際映画祭でワールドプレミア上映され、上映後には観客総立ちのスタンディングオベーションと大喝采がなんと14分間も続いた海外で評価が高い。しかし、日本のネットでは細かな矛盾点やシナリオの甘さが批判されている。それでも、それを補って余りある程の素晴らしい映像体験と素敵な感動を届けてくれる作品。
今回は、竜とそばかすの姫のネタバレとなる後日談、ペギー・スー 正体、5ch情報をまとめてみた。
■目次
・竜とそばかすの姫とは・竜とそばかすの姫ペギー・スー正体は?
・竜とそばかすの姫の後日談
竜とそばかすの姫とは
『竜とそばかすの姫』は、スタジオ地図制作による日本のアニメーション映画。
2021年7月16日に東宝配給で公開され、 2022年1月、第45回日本アカデミー賞優秀アニメーション作品賞を受賞した。
50億人以上が集うインターネット仮想世界〈U〉と出会った女子高生を主人公とした物語。
歌姫のベルというアバターで〈U〉に参加し、その歌声でたちまち世界に注目される存在になっていく一方で、忌み嫌われる竜の姿をした謎の存在と出会うさまが描かれる。
参照wiki
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竜とそばかすの姫ペギー・スー正体は?

竜とそばかすの姫の作中に登場するもう1人の歌姫ペギー・スー。
物語の中で、その正体について一切触れられていないので、いったいどんな人物なのか?とネットで考察されているちなみに、声優は「millennium parade」(ミレニアムパレード)で主にボーカルを務めているErmhoiが務めている。

竜とそばかすの姫の小説版では、ベルのオリジンを見たペギースーが「素顔はベルよりも自分のほうがひどいかもしれない」「現実世界では夢を見ることすらできなかった底辺暮らしのあたし」と心で思う描写がある。
竜とそばかすの姫というタイトルとなった「そばかす」は、地味なイメージを連想させるので「こんなに地味で田舎の女の子がインターネットの世界では美しい歌姫」というのを強く印象づけさせるため、ペギー・スーという存在がいる。
つまり、竜とそばかすの姫ペギー・スーの正体は、「ネット上の世界で歌姫」みんなから憧れる女性。
5chでは、主人公すずの親友のヒロちゃんと考察されている。

ピンク髪の歌姫(ベル)=日本人の女の子(すず)になったように、ペギー・スーの正体は明かされていないだけで、似た境遇の「millennium parade」(ミレニアムパレード)Ermhoiをモデルにした(もしくはペギー・スーに似たErmhoiを採用した)のかもしれない。
ちなみに竜の正体だった虐待されてた少年・圭くんは、現実で殴られたのと連動して、Uの中の龍にもアザが増えたので、ペギー・スーも優しく協力的だったことから親友説が一番可能性が高いだろう。
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竜とそばかすの姫の後日談
竜とそばかすの姫は、ネットでは評価が大きく分かれる作品であり、日本では「内容がひどい」というレビューが多い。
今回の映画「竜とそばかすの姫」は、ネットなどでの誹謗中傷に焦点が置かれており、作者は「言葉の暴力は大きな傷になる」ということを伝えたかった。
自分がかきたい「話」「テーマ」「流れ」にキャラクターをぶち込んでいるので、キャラクターが動いてお話が進んでいくのではなく、決まった物語にキャラクターを当てはめているので、キャラクターの行動理由が分からず、見ている側からするとモヤモヤするため、ネットでは評価が分かれている。
例えば、他の人に映画の説明するときに「どんな流れの話なの?」と聞かれ、客観的な起承転結は伝えられるけれど「なんでそんな行動するの?」と聞かれたら答えられない。
細田監督は、竜とそばかすの姫は「自分のやりたいこと」ではなく、「作品」の原作者側になって、映画を制作した。つまり、「時かけ」、「サマウォ」等の作品が好きな人には、竜とそばかすの姫ではいまいち細田監督が伝えたいことが理解できないので、後半は強引な展開になってしまっている。
原作者は「他人の心はわかはない」ということを小説で表現している。
なので、短縮された映画ではあらゆる場面において、人々の動きは唐突になってしまった。(ここが批判される大きなポイント)
ほとんどの映画作品において、人の心情はとても丁寧に描かれる一方、実社会では人の行動は不可解であり、喜怒哀楽にその前触れの心情の変化は読み取ることは困難。
竜とそばかすの姫の後日談や続編は存在しないが、作中から考察すると、最後にアンベイルされた姿で歌うのは、主人公・鈴はもう「ルカちゃんのような人間」ではなく「自分」になれたという事を表現している。
その段階のひとつとして、ルカちゃんの好きな人は自分と同じ忍くんでは無かったとすずが知るシーンがあり、作中を通して鈴は、「ルカちゃんに憧れる自分」から、「何者でもない自己」を確立していったと細田監督が伝えたい後日談として5chで考察されている。
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見当違いも甚だしい