
2022年7月1日、日本テレビ系・金曜ロードショー「時をかける少女」
細田守監督作品「時をかける少女」が今夜放送。
「時をかける少女」原作者の筒井康隆が認めた本当の意味の続編アニメ。回数制限付タイムリープや原作主人公・芳山和子(原田知世ではなく原沙知絵)をおばさん役で登場させた以外は、ほぼ原作と同じ設定となっている。
「大人になる切なさ」を表現するのが青春映画だとすれば、この映画「時をかける少女」は、それを見事に表現されている。
主人公の真琴は、子どものままでいたいから、ひたすら時をかけるが、やがてそれがムリなことに気づき、真琴が時をかけるのをやめて、ミライを歩む決心をしたラストシーンは本当に切ない。
今回は、時をかける少女のその後、千昭はどうなったのか?原作の続編について5ch情報をまとめてみた。
■目次
・時をかける少女とは・時をかける少女千昭(ちあき)その後
・千昭がキスを避けた理由や「未来で待ってる」の意味
時をかける少女とは
『時をかける少女』は、2006年7月15日に角川ヘラルド映画から公開された日本のSFアニメ映画。筒井康隆の同名の小説を原作としている。
筒井康隆の同名の小説『時をかける少女』が原作であるが、小説そのもの映画化ではなく、同じ世界を舞台に原作の出来事から約20年後の世界を描いた作品。原作の主人公であった芳山和子の姪である紺野真琴が主人公として繰り広げる青春ストーリー。
参照wiki
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時をかける少女千昭(ちあき)その後
時をかける少女は筒井原作「時をかける少女」を1970年代に「タイムトラベラー」として、ドラマ化した際、脚本家石山透氏が続編の脚本書いたのがドラマ「続タイムトラベラー。

このドラマ「続タイムトラベラー」は、 原作者の筒井康隆氏は関わっていないが、登場人物など深町"ソゴル"一夫が事情があって、現代に戻って来て和子に助けを求めるストーリー。このドラマを元に、「続・時をかける少女」タイトルでノベライズ本として出版されたので、続編という形になっている。
ちなみに筒井康隆氏が「この『続・時をかける少女』は以前私が書いた「時をかける少女」の"続編"と公言している。また「もし私が書いていたりしたら、この本がでるのは一年も二年も先になっていたことでしょう。「時をかける少女」にくらべると、ずっとSF的でストーリーも複雑になり、小学校高学年から高校生まで文句なしに楽しめるジュニア小説になっています。」と正式な続編として公認している。
このアニメ版「時をかける少女」の劇中で、「おばさん」として登場しているのが本来の「時かけ」の主人公。つまり、アニメ版は「違う世代を描いた」原作の「後日談」的作品であり、かなり大胆にアレンジした内容という事になる。
よって、「時をかける少女」はこれで完結という形になっているので、さらに続編なんて作ろうものなら、原作とは完全に別物となってしまう。
なので、このアニメ映画「時をかける少女」が最後の作品ということになる。
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千昭がキスを避けた理由や「未来で待ってる」の意味
時をかける少女の作中、ちあきはなぜ最初からまことはタイムリープできると分かっていたのか?不思議思う人が多いだろう。
千昭は、功介と果穂の自転車事故を無くす為、千昭の最後のタイムリーㇷ゚を使ってしまった後、時間が静止して、真琴に全てを話すシーンがある。
その時、千昭は「俺としたことがタイムリーㇷ゚チャージを何処かに、落としちまった。散々さがしてようやく見つけた。理科実験室で、もう使用済みだったけどな」というセリフがある。
千昭は真琴にチャージされていると気づいたのは、真琴のカラオケでの仕草や「俺と付き合えば?」と言った時の前に「転んでる真琴の姿」を見て、「タイムリーㇷ゚初心者の動作」とわかっていた。
だから「お前、タイムリーㇷ゚してね?」と真琴を疑った。

最後に、千昭は真琴とのキスを避けて、「未来で待ってる」と告げた感動のシーン。

千昭はその後、どうなったのか?
これは、5chでの考察スレによるものだが、2人が再び出会うことは無い。
その理由は、千昭がもとにいた時代は、現代よりも遥かに荒廃した未来の時代。
千昭が「生存していない」かなり先の時代から来た。制限付きとはいえ「タイムリープ」が出来るようになっている時代なので、100年後よりもっと先なのは確かで、真琴がどれほど長生きしようとも、二人が会うことはできない。
仮に千昭がまたタイムリープが可能であり、ゆえに会いにくるのなら、あんな深刻な別れをする訳がない。
だから、千昭は想いや未練が残るキスを避けた。
つまり、「未来で待ってる」というセリフは、「絵を通じて、2人の思いが繋がる」ということ。なので、真琴の返答も「走って行く!」という「物理的にはあり得ない」抽象的な表現をした。
結果として、真琴は「絵を残す」という目的を持ったことになった。 これは、「これからの将来について考え、成長していく」という意味にもなる。
あれだけ作中に重要な扱いをされた「絵」の意味は、「絵を通じて、2人の思いが繋がる」、「絵を未来に残すことで、真琴の存在を千昭に届ける」という解釈がなされる。
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